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肩の力を抜いていこう2

金木犀は秋の花ですが、毎年気温が下がり始める9月頃に咲き、1週間ももたずに散ってしまうので、本格的な秋になると、あの甘い香りが欲しくなる今日この頃なジョージです。

こんばんはー。



今まで、休日は天気が秋晴れなのに「仕事で疲れた」とか「午後になるまでたくさん眠りたい」という何かの理由を決めつけて、ダラダラ家で過ごしていました。
そんなこんなでの休日の生活が、東京に来てから既に10年以上経っていました・・・。
その日、1日1日を乗りきっていくのがやっとの生活で、気がついたらこんなに年月が流れていました。

18の時から上京し、コンプレックスの塊でガラスの少年のような私は、「自分を変えたい」気持ちで一杯でした。変えたい一心で客観的に自分を評価し、「こうなりたい自分」の仮面を何重にもつけ続けて来ました。
やがてその仮面は「求められる自分」にとって代わりました。
会社から求められる私、部下から求められる私、異性から求められる私、親から求められる(期待される)私、求められる・・・求められる・・・。

求められる仮面をつけ続け、演じ続ければ、いつかその「役者」が「本物の私」を塗り替えてくれるのではないか。そう考えて来ましたが、心の奥底に小さくうずくまってる脅えた本当の私は、残り火のように常に「忘れてはいけない大切な何か」として、消えそうになりつつもひっそりと優しく燃え続けていたような気がします。



家族が一緒にくらしていれば、心から信頼しあえるパートナーがいれば、あるいはそんな仮面で変えようとする私に「歯止め」をかけてくれたような気がします。

東北大震災で失った戻ることは無い故郷。仮面をつけ続けた私を好きになってくれたパートナー。仕事中だけの薄っぺらな会社の付き合い。
致命的だったのが会社の私は「本当の私ではないということ」でした。


気がつけば、心の底から笑ったことなんて、いつかも覚えていない。
それどころか喜怒哀楽もないのではないかという、今思うと、ある意味そんな自分を客観的にみて「恐怖」すら覚えることもあります。
そんな「つまらない男」になりたかったのだろうか?




つまらない男・・・。思い出した。母親に1度言われたことがある(それが最後の言葉だったが)。
あの時母親は「なんで、あなたはそんなにつまらなくなってしまったの!そんな生活で何が楽しいの?」と・・・。


歯車が狂ったように仮面をつけ続けた私の心には、いつしか暗くて深い孔がぽっかりと私を覗くように空いていました。その孔は喜怒哀楽を無くしてすべてが虚無として変わり、底なき孔として深い闇に繋がっているように感じました。
やがてその孔が深淵にたどり着いたときには「底から脱け出せなくなるのではないか・・・」という恐怖が常に私を襲っていました。




「肩の力を抜いていこう」
ある人のたった一言が、私にとってはまるで本当の自分を取り戻す「合言葉」のように、心に美しい光をあたえてくれました。それはまるで、雲の合間から零れる美しい光のようで、その光は一瞬にして私の心に安らぎと潤いで、あっという間にいっぱいになり、やがて「涙」として優しく外に溢れ出ました。

10年以上「演じ続けた私の仮面」が剥がれ落ち始めた瞬間でした。
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